【無止的積奴】ビジネス書・自己啓発書のオタク 

忍耐学

▼譲歩の忍耐学
    人を押しのけ、掻き分けて前に出る忍耐よりも、立ち止り、譲り、その場にとどまる忍耐は、焦りとの戦いであり、精神的には、はるかに苦しいものだ。
    だが、賢者は、この忍耐の先に何があるかを知っている。
    だから耐えられる。
    跳び上がる前に、逆方法に身を屈めるのと同じで、これを「負の助走」という。一見、無駄なように見えて、この忍耐こそ飛躍のカギになるのだ。
▼逆境の忍耐学
    「これといってみどころがない」がキーワードで、順風――すなわち、緑燃える夏場には目立たないが、厳冬という逆境になって真価がわかる、ということだ。
    つまり、逆境に耐えてみせることこそ、自分という人間を再評価させるチャンスなのである。ところが多くの人は、不平不満を口にし、いかに理不尽な境遇にあるかを訴え、同情を引こうとする。
    それでは逆効果なのだ。
    周囲の人は同情を装いつつ、内心では嘲笑するだろう。不遇の身にあることを嗤うのではなく、同情を引こうとする、そのさもしさを嘲笑するである。
    笑顔を以て耐えていれば、必ず浮上のチャンスは来る。逆境のまま終わるほど人生は過酷でもなければ、順風のまま終わるほど単純でもない。浮上のチャンスが来るから耐えるのではない。耐えるから浮上のチャンスが来るのだ。
▼奮起の忍耐学
    耐えて耐えて耐え抜くことが、奮起を圧詐空気のごとく凝縮させ、大きなバネとなっていくのだ。
▼賢者の忍耐学
    「大賢は愚なるが如し」という諺がある。
    「賢者は知識をひけらかさないから、一見、愚かな人のように見える」という意味だ。
    知識をひけらかさないから賢者なのではない。自分を大きく見せたいという欲求を心の裡に封じ込め、耐えることの意味を知っていることが「賢者」なのだ。川の音を聞くがいい。せせらぎは賑やかな音を立て、深い川は静かに流れるのだ。
▼名将の忍耐学
    上司やリーダーなど、上に立つ人間は、下の人間を「踏み台」にすることで成果を上げる。それが組織が持つ構造であり、「踏み台」がしっかりと支えてくれているから立っていられるのだ。
    ところが、上に立つ多くの人間は「踏み台」を見下ろす。足下に踏みしめて当然だと思う。だから気配りをしない。将として凡庸の極みである。
    名将は違う。将を将たらしめているのは、「踏み台」という兵士たちであることを忘れない。兵士が勇敢に戦ってくれなければ――すなわち「踏み台」がより高くならない限り、自分も高くなれないことを知っている。だから「万骨」に対して感謝の念を忘れず、評価し、より高い「踏み台」にしていくのである。
▼寛容の忍耐学
    人はそれぞれ価値観も違えば、人生観も違う。盗人にも五分の魂があるように、誰にも「言い分」がある。しかも利害は錯綜している。そんな複雑な人間関係を、是々非々で割り切ろうとしても杓子定規にはいかないものだ。だから、ある程度は大目に見る度量と寛容さが必要だ。
▼満開の桜の忍耐学
    ならば、満開を求め、深酒を求めたらどうなるか。悲惨である。たとえば満開の後の枯れた紫陽花を見ればわかるではないか。宿酔いの苦しさが何より物語っているではないか。五分咲きの美しさに感嘆した気持ちは失せてしまい、どんな美酒も「後悔の水」になる。
    だから、「花は半開を看、酒は微酔に飲む」と、先人は諭すのだ。
    人生も同様だ。
    「もっと、もっと」と満開を追い求めた先にあるのは失望なのである。

向谷匡史  『忍耐学』  

      

 

 

  保身のための忍耐。飛躍のための忍耐。人間は考え次第で明日に繋がっていく。